大漁旗展
東日本大震災から明日でちょうど1年になります。
東京杉並区では「東日本大震災復興支援大漁旗展」が開催されています。
当ブログのテーマと若干ずれますが、少しだけご紹介します。
会場入り口に掲げられた昭福丸の大漁旗。
主催したのは大漁旗研究会で、杉並区教育委員会が共催。NHK、杉並区、朝日新聞社、(株)ジェイコム東京、全国鰹鮪近代化促進協議会が後援して開催されました。
展示の目玉は、気仙沼で津波の被害にあった大漁旗を見つけた気仙沼の伊藤さんと「手仕事フェスタ+東北の手仕事」のメンバー述べ150名以上の人々の手で修復された「勝榮丸」の大漁旗。
修復された大漁旗は2枚で、修復に携わった人々の一針一針丁寧な仕事と、若い力と感覚が付加されて復活したとのこと。
大漁旗には魚やイカなどのオブジェや復興を願うメッセージなどが縫い付けられている。
もう1枚の大漁旗にはやはりメッセージや、修復に携わった人々のものと思われる手形などが記されていた。
他にも気仙沼の「大和丸」や、福島の「不動丸」の大漁旗。
そのほか、大漁旗研究会で収集された色とりどりの大漁旗が展示されていました。
展示会初日のゲストとして、気仙沼市の漁業会社社長のトークがあり、罹災の様子や、1年がたとうとしている今でも地盤沈下のため遅々として進まない復興の様子など、テレビでは伝わってこない生の情報に接することができました。
震災の当日小生は函館におりました。札幌市内で行われる姪っ子の結婚式に出席すべく、結婚式の前々日から北海道入りし、震災当日は函館駅前のどんぶり横丁で昼食済ませ、赤レンガ倉庫を見てから函館山に登りました。
その頂上で比較的ゆっくりとした大きなゆれを感じました。この時はこんなに大変な事態が起きているとは考えていませんでしたが、山から下りるケーブルカーは運転を取りやめ、ケーブルカー会社の車で下まで下ろしてもらいましたが、海のほうに行くと警察や消防の車が津波が来るから非難しなさいと告げていました。
実際倉庫街につながる道には水が来ていました。やっとの思いで駅前のホテルに戻りましたが、ホテルの前の道路やどんぶり横丁の方向が冠水している様子が窓から見えました。東北地方の津波被害とは比較にならないとは思いますが、町の機能や鉄道が麻痺してしまうという自然災害の猛威の片鱗を知ることができました。
多くの命が失われ、また、いまだに行方がわからない方々が大勢いらっしゃると聞きます。津波の影響で働く場や、住まいなどを失い、仕事を失って元気をなくしている方々も多いと聞きます。心身の健康を害されている方々も多いようです。
小生ごときが軽々と口にすべきではないかも知れませんが、被災された方々が一日も早く元気と笑顔を取りもどせる日が来ることを願ってやみません。また、震災で犠牲になった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
今日も最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
m(_ _)m
東京杉並区では「東日本大震災復興支援大漁旗展」が開催されています。
当ブログのテーマと若干ずれますが、少しだけご紹介します。
会場入り口に掲げられた昭福丸の大漁旗。
主催したのは大漁旗研究会で、杉並区教育委員会が共催。NHK、杉並区、朝日新聞社、(株)ジェイコム東京、全国鰹鮪近代化促進協議会が後援して開催されました。
展示の目玉は、気仙沼で津波の被害にあった大漁旗を見つけた気仙沼の伊藤さんと「手仕事フェスタ+東北の手仕事」のメンバー述べ150名以上の人々の手で修復された「勝榮丸」の大漁旗。
修復された大漁旗は2枚で、修復に携わった人々の一針一針丁寧な仕事と、若い力と感覚が付加されて復活したとのこと。
大漁旗には魚やイカなどのオブジェや復興を願うメッセージなどが縫い付けられている。
もう1枚の大漁旗にはやはりメッセージや、修復に携わった人々のものと思われる手形などが記されていた。
他にも気仙沼の「大和丸」や、福島の「不動丸」の大漁旗。
そのほか、大漁旗研究会で収集された色とりどりの大漁旗が展示されていました。
展示会初日のゲストとして、気仙沼市の漁業会社社長のトークがあり、罹災の様子や、1年がたとうとしている今でも地盤沈下のため遅々として進まない復興の様子など、テレビでは伝わってこない生の情報に接することができました。
震災の当日小生は函館におりました。札幌市内で行われる姪っ子の結婚式に出席すべく、結婚式の前々日から北海道入りし、震災当日は函館駅前のどんぶり横丁で昼食済ませ、赤レンガ倉庫を見てから函館山に登りました。
その頂上で比較的ゆっくりとした大きなゆれを感じました。この時はこんなに大変な事態が起きているとは考えていませんでしたが、山から下りるケーブルカーは運転を取りやめ、ケーブルカー会社の車で下まで下ろしてもらいましたが、海のほうに行くと警察や消防の車が津波が来るから非難しなさいと告げていました。
実際倉庫街につながる道には水が来ていました。やっとの思いで駅前のホテルに戻りましたが、ホテルの前の道路やどんぶり横丁の方向が冠水している様子が窓から見えました。東北地方の津波被害とは比較にならないとは思いますが、町の機能や鉄道が麻痺してしまうという自然災害の猛威の片鱗を知ることができました。
多くの命が失われ、また、いまだに行方がわからない方々が大勢いらっしゃると聞きます。津波の影響で働く場や、住まいなどを失い、仕事を失って元気をなくしている方々も多いと聞きます。心身の健康を害されている方々も多いようです。
小生ごときが軽々と口にすべきではないかも知れませんが、被災された方々が一日も早く元気と笑顔を取りもどせる日が来ることを願ってやみません。また、震災で犠牲になった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
今日も最後までお付き合い頂き、ありがとうございました。
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